若い盆の籠の中

バスケットボールについていろいろをつぶやきます。

バスケの見どころが未だに理解されていない

f:id:makk1111:20181222141214p:plain


こんにちは

初めての書き込みです。

twitterもろくに呟かないぐらいブログを書くというカルチャーが身体に染み付いてないもので多少硬い文体になってしまっていたらすいません。

ここでは筆者の趣味であるバスケットボールについて真剣に考えていることを定期的にポストしていければなぁと思っています。(ブログを書こうと思った動機は新しい趣味を作りたいという完全な思いつきです。)

 

まず、私とバスケットボールの接点は中学2年の時、当時帰宅部で「男子校」に通っていた私を同じクラスの友達(イケメン)が部活に誘ってくれたのがきっかけです。

思春期に周りに女の子がいない環境で彼女なんてできず、悶々としていた状況で、イケメンのスポーツであるバスケをすれば彼女ができるんじゃないか!?という短絡的な考えのもと青春のエネルギーを費やすことになったのです。

結局、バスケをしても男としか関わらなかったので彼女はできませんでしたが学生時代に過ごしたその時間が社会人になった今となっても生活習慣の中に組み込まれました。(NBAはずっと追って観ています)

 

そもそも私の勘違いとして「バスケ=カッコいい」という固定概念を持ってしまっていたのですが案外一般的な認識とズレてはいないんじゃないかと思うんですよね。

これはドラマや漫画で描かれる部活モノの描写からくる刷り込みなんですけど、大元を辿れば週間少年ジャンプで連載されていた「スラムダンク」人気の影響なんじゃないかと私は考えています。

私は部活を始めてから読みましたが、確かに面白くて最後の山王戦でのセリフなしの演出なんかはこっちが呼吸を忘れるほどの緊張感があったのを覚えています。

しかし、スラムダンクを読んで感じたのはバスケットボールの魅力とスラムダンクの面白さがイコールになっていないことで表層のバスケ観が一人歩きしてしまい結局、日本国内でのバスケットボールの魅力が浸透しない状況を生んでしまっていると感じています。(他にも原因はありますが)

では、お前のいうバスケットボールの本当の魅力ってなんぞや、それについて書きなぐっていこうというのがこのブログのコンセプトです!

 

長い前置きになってしましましたが、この初めての記事ではその魅力の源泉となる「バスケットボール」が何を争う競技なのかという大前提を定義したいと思います。

 

結論から言いましょう。

バスケットボールとは

「時間と空間における必然性」

を競う競技です。

この文章を読んでくださっている方なら何かしらのスポーツ実況を見たことがあるかと思いますが、本質的に「A」vs「B」といった二項対立の構図となるスポーツを鑑賞する際の魅力とは両者間の緊張感とそのバランスが崩壊するまでのハラハラ感だと思っています。

(ボクシングの試合を想像してもらうとわかりやすいと思います)

ことバスケットボールでは「時間と空間における必然性」がどちらにあるのか競う過程に緊張感が生まれます。

 

なんでこんな抽象的な言い回しなん

ただの玉入れ競争やろ?

 

バスケットボールは5人対5人の2チームが、一つのボールを手で扱い、長方形のコート上の両端に設置された高さ305cm(10ft)、直径45cm(18in)のリング状のバスケットにボールを上方から通すこと(ゴール)で得点を競う球技である。(wiki参照

 

まあそうなんですけど、ただの「玉入れ競争」に2つの要素が足されたことでこの「バスケットボール」と言うスポーツがここまで複雑な戦略性を帯びることになります。

 「時間と空間における必然性」について説明する前にこの2点について触れておく必要があるのです。

 

・「ボールが1つしかない」

・「身体の接触がルールで禁止されている」

 

この2点です。

「ボールが1つしかない」玉入れとなると得点数を競う前にボールを奪い合う過程が発生します。

しかし、「身体の接触がルールで禁止されている」ためタックルや押し倒してボールを奪うことができないのです。(ラグビーやサッカーなど)

ではどのように相手のボールを奪うのかというと、ボールを保持している選手の身体に接触せずボールのみを叩くなどして奪う(スティール)かボール保持者が味方にパスを出した瞬間にボールのコースを塞ぐ(パスカット)、もしくは相手がゴールに向かってボールを投げた後そのボールがゴールを通過せずに弾かれたり地面に落ちたボールを取る(リバウンド)という選択肢しかないのです。

シュートの得点を競う競技である以上、ボールを所持し得点の回数を多くするために相手のボールを奪い合うために選手たちは何をするかというと「ゴール」と「ボール」の位置関係を元にボール保持側は最も成功の確率が高くなるショットを放てるポジションに「移動」し、守備する側は相手がショットを打つ前にボールを奪うかなるべく成功の確率が低くなるショットに妥協させてゴールから外れたボールを奪得るように「移動」する。いや一瞬ごとにし続ける。

互いにより良いポジションを確保し合う、その攻めぎあいの中に緊張感が生まれるのです。

接触、要するにファールの定義については今後ちゃんと書こうと思います)

 

ここまでで

 「時間と空間における必然性」

についての

必然性=ショットの成功確率を100%に近づけること

空間=攻撃、守備における瞬間ごとのポジションの確保

つまり「空間の必然性」について説明しました。

 

では、「時間の必然性」とはどういった意味でしょうか。

必然性が「100%に近づけること」だとするならば何を100%にするのでしょうか?

それはバスケットボールの試合に制限時間があることが関係しています。

サッカーとの比較で考えましょう。

一つのボールで時間制限の元ゴールへの得点数を競い合うルールだとどうしてもサッカーよりもバスケットボールの方が1試合あたりの得点数は多くなります。そうするとバスケのほうが得点差から勝率が確定するタイミングが比較的早い競技だと言えるでしょう。

逆転満塁ホームランはあり得ないのです。

つまり、なので、オセロの試合ように得点差から収束していく選択肢の中から逆算し最善の手を打ち続けるということが必要になります。

(たとえがあっちこっちに飛んですいません、、)

 

まとめると、「時間の必然性」とは

「空間の必然性」を競い経過していく時間の中で生じる得点差から如何に相手の選択肢を減らしていくことで試合終了前に勝利を確定させることだと言えます。

つまり、バスケットボールにおける得点差とは総時間の空間支配率の差を数値化したものだと言えるのです。

 

以上の点を意識してバスケットボールの試合を観ると魅力が伝わるんじゃないかと思います。

 

 

かなりはしょった文章になってしまいましたが今後も定期的に更新していこうと思います。

次回は少し踏み込んで

「日本のバスケ指導者について」

「カリーとレブロン

について書こうとかなと思います。

 

では、